
どうも。内山田です。
今日は僕の好きな言葉を紹介します。
犬の教え
毎日遊んでいるのに
大はしゃぎして飛びついてきて
幸せそうな時もそうではないときも
いつも傍に寄り添って
ときには向き合うことができなくても
疑うことなく信じてくれて
何も話さなくてもわかってくれて
一緒に過ごすのが当たり前になって
ときには兄弟となりときには親友にもなり
いつの間にか誰よりも歳をとっていく
衰えていくその姿から目をそらさないこと
最後の最後まで見守ること
命を持って教えてくれたことを忘れないこと
家族を失う悲しさを
生きる時間は限られていることを
精一杯今を楽しむことを
どんなに悲しくても辛くても
いつかその日が来たら
出会えたことに感謝する
これは田口久人さんの『そのままでいい』という本からの言葉です。
僕も犬を飼っていて、その子たちには日々感謝していますが、
僕の力ではうまく表現できないので今回はこの言葉をお借りしました。
特に動物を飼っている人にはとても響くんじゃないでしょうか。
僕が彼らを素敵だと思うところのひとつに、
彼らには人間と違い変なエゴが無い。というところがあります。
相手にどう思われたいか。
気を遣って遠慮しといた方がいいんじゃないか。
そんなことは考えず
嬉しい。と思ったら全身を使って全力で表現してくれる。
それってとても素敵なことで、すごいことで。
人間にはあまりできないことだと思っています。
自分が誰かに親切な提案、行動をしたとき。
遠慮され、親切を拒否された経験は無いですか?
そしてそんなとき少し嫌な気持ちになりませんか?
僕はなります。自分の親切を上回る親切をしようとされている気がして。
例えば道を譲ったとき。
「いえいえ、先にどうぞ!」
なんて言われるとなんだか自分がお節介をしたみたい…
遠慮は日本人の文化のひとつ。欲が少ないことが美しい。
そんな風潮がある気がします。
相手は気を遣っているのでしょうが僕は逆効果だと思っています。
少なくとも与える側は遠慮など求めていないんです。
どちらかというと素直に受け入れ、『ありがとう』と言ってもらえることを望んでいると思います。
だから、ご飯をあげるとき。散歩に行くとき。
全力で喜んでくれる犬達の姿はとても愛くるしく感じるんだと思います。
それでいて彼らは僕たちのマイナスな気持ちも汲み取ってくれます。
気持ちが沈んでいる時はそっと傍にいてくれます。
言葉が通じないからこそ心が通じているというか。
しかし言葉が通じないことには大きな欠点があります。
それは僕たちの家で、家族として生きた時間が幸せだったのかを聞くことが出来ないということ。
昨日、僕の家族がその日を迎えました。
彼女たちに聞きたいことがたくさんあります。
とても悲しく辛いですが、この気持ちはどうにもならず、どうにかしたいとも思いません。
彼女達にはたくさんのものを貰いました。
一緒に過ごした時間は僕をより愛情深く、優しい人間にしてくれました。
ペットはいつか死んでしまうから。
その時がしんどいから飼いたくない。
そんな考え方の方もいると思います。
その考えも僕は人間のエゴだと思います。
実際今僕はとても辛いです。
ですが彼らは別に死ぬために生まれてきた訳じゃありません。
死を迎えることの悲しさだけを理由にするのは違います。
その悲しさ以上に素敵な時間がたくさんあります。
彼らも僕たちと同じく一度きりの人生です。
僕たちに比べれば圧倒的に短いですが。
僕たちが引き取らなくても彼らの人生は続きます。
最悪の結果になることもあります。
それなら自分の家に来てくれた子を精一杯愛し、互いに成長して、最後を見届ける。
簡単なことではないですが、
彼らの人生も。僕たちの人生も心も豊かなものになると思います。
ぱんちゃん、まこちゃん。うちの家に来てくれてありがとうございました。











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